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これさえあればどんな言語を勉強しても上手く行く。

こんにちは!!

今日は「ことば」に対して僕が思うことを書き連ねます。

 

皆さんは「ことば」についてどう思いますか?

 

よく世間では

「抽象度の高い語彙は教養の証である」

 

といった主張がなされることもあります。

 

それはまさしくそのとおりだと思いますし、まったく否定

する気はありません。

 

ですが、時々思うんです。

 

「「ことば」は相手がいて始めて成り立つものだしそもそも相手が理解できないと会話が成立しない。そしてなによりも「ことば」は自己顕示欲を満たすためのものではなく、「暖かい気持ち」を伝えるためにあるんじゃないか」

 

って。

 

僕は普段から

 

「外国語への翻訳が容易な日本語」

また

「簡単だが、簡単であるが故に多くの人が理解できる語彙をもちいた文章」

 

で話すことを意識しています。

 

なぜかというと、以前にも書きましたが

英語などの言語では話者のほとんどが非ネイティブです。

非ネイティブが読んだり聞いたりしても理解出来る英語で

話さなければ意思疎通は難しいと思います。

(ボディランゲージはここでは取り扱いません(笑)

もちろんボディランゲージは有効なコミュニケーション手段だと

思っています。)

 

そして普段から

「日本語をほぐす」ことを意識して話していると

外国語を話すときに大いに役立つからです。

 

でも抽象度の高い知性あふれる単語を用いて言葉を

発することを否定したいわけではありません。

 

状況に応じて言葉の抽象度の行き来を行うことも大切だと思います。

 

ではなにが言いたいのかというと

 

自分が「優越感」に浸りたい一心で言葉を話すのか

相手と「つながりたい」という気持ちから言葉を話すのか

 

という「ことば」を発する前段階の部分が自分の「ことば」

に現象するんじゃないかなとおもいます。

 

結局はここに落ち着くと思います。

 

同じ言葉を発してもそこに

 

・「どんな気持ちが込められているか」

 

で自分に帰ってくるモノも変わってくるんじゃないかなあ

と思う今日このごろ。

 

「ことば」について向き合ってきて、闇雲に難しい単語を

用いて、相手のことをよく考えないで言葉を発してた自分に

対するいましめも込めてこの投稿を(笑)

 

 

なんだか落ち着きどころのない文章になってしまいましたが

 

今日はこの辺で!!